福岡大学で学び、挑戦し、夢を追う学生たちに迫るインタビュー企画、「ふくらませ、大胆に。」
学びに向き合う姿勢や将来への想い、日々のキャンパスライフを通した一人一人の個性と成長をお伝えします。
幼い頃、建築関係の仕事をしていた両親に連れられて名建築に親しんだ用松慧哉さん(工学研究科博士課程前期建設工学専攻2年次生)。ものづくりが好きだったこともあり、自分も空間をつくる側に立ちたいと思い、建築学科を志した。
福岡大学を選んだ理由は、先生との距離の近さだった。「先生が学内にいることが多いので、小さなことでも直ぐ相談できる環境なんです」。


建築学科に入学してくる学生のほとんどが、ゼロから建築を学ぶ。そのため、「分かっていないところが分からない」「何から手を付けてよいか分からなくて、作業が進められない」と不安を抱えてしまうことも少なくない。
他大学では週1〜2回しか学内にいない先生も多いと聞く中で、福岡大学では日常的に指導を受けられる。その手厚い指導が学部生時代の挑戦の支えになったと語る。
設計課題に取り組む毎日は、正解のない問いとの格闘だった。休日返上で夜遅くまで打ち込む学生も多い。大学の“何でもやらせてくれる環境”も相まって「どこまで突き詰めればいいのか分からなかった」と振り返る。
2年次後期、初めて、学科が制作する作品集の選抜から漏れるという経験をする。それまで取り組んだ設計課題は、いつも優秀作品に選ばれていた。自信があった分、ショックも大きかった。
だが、ぶち当たった壁は彼に意識の変容を促し、大きく成長するチャンスに変わる。
「相手がいて、ようやく成り立つのが建築ではないか。『自分はこれがいいと思うからこうしました』ではなく、相手の共感を呼ぶ言葉で伝えるとか、ビジョンを描かないといけないと思うようになったんです」。
3年次生の頃、別の先生に言われた言葉も彼の設計観を変えた。
「建築は、ベストに執着するのではなく、期限内のベターを目指すんだ」。
そもそも、建築の最適解は一つに定まらない。与えられた条件の中で、ベストアプローチは何かを問うこと。今も、それは常に彼の意識の中にある。
学びから得た気付きの先には、将来に続く道が見えてきた。


天神ビックバンなどの大型都市開発プロジェクトにより、福岡の街は加速度的に変貌を遂げている。建物の高層化と局所的な人口集中の流れは、これまで街のあちらこちらに点在していた「通りの賑わい」や「そこでの出会い」と交わり、そして「創造の場の喪失」につながるのではと、問題意識を持つようになる。
例えば、かつて生活と商いの場が共存していた福岡市中央区の柳橋連合市場は、昔ながらの雰囲気を残すエリアで、天神からも歩いて行ける立地にある。天神を表、柳橋連合市場を裏としたとき、今ではさほど使われなくなった商店の2階部分に新たな「道」を挿入し、路地の懐かしい風景を残しつつも、表とつながる市場空間を創造できないだろうかと考えた。
「道」への興味は深化し、追及され、卒業制作へとつながっていく。水平的につながり、人の交わりが生まれ、賑わいが溢れる空間の創造を目指して磨き上げた作品は、七隈建築賞・福岡県建築士会賞を受賞する。
大学院では都市計画の研究を進めながら、コンペにも意欲的に挑戦。学生が参加する最大規模のコンペではファイナリストに選出された。
「学生のうちに実績を積み上げて、結果を残すんだ」。その静かな決意が、次の挑戦を後押しする。
在学中に一級建築士試験に合格すること。言わずもがな、合格率10%程の難関だ。
学科は独学で、製図は短期講座で学び、研究や設計、コンペと並行しながら、毎日を分刻みで走り続けた。「製図学校で勉強し始めて、正直これを何年もやりたくないなって思いました」と笑う。
「でも、建築をやっていくうえでは必要の資格。追加のタスクは誤差の範囲」と、建築漬けの毎日を過ごした。
その努力は実を結び、学生としては異例の学科試験合格を果たす。限られた時間を使い切るように取り組んだ経験が、建築家として生きていく礎となった。
卒業後は、国内最大手の設計事務所の意匠部門で働く予定。
「“日々の営みを紡ぐ、道としての建築”を造りたい」。
たどり着きたかったところまで行けないこともある。だが、自分が納得できる正解を追い求め、思考は尽きない。
建築を通して人に届く何かを。いつの日か、福岡大学のキャンパスにも、彼が描いた“最善のカタチ”が現れるかもしれない。


【関連リンク】
・公式Instagram(「ふくらませ、大胆に。」別企画掲載)
・工学部ウェブサイト
