〔研究者コラム〕ー「未来の貿易と社会貢献(第3回)」南坊(南方)録と茶の湯の心ー

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田代安彦教授

商学部の田代安彦教授が全5回シリーズでお届けするコラム「未来の貿易と社会貢献」の3回目です。

田代教授はかつて出光興産に勤務し、約11年間中東を中心に海外5カ国に駐在。エネルギー分野での通商を担当していました。1990年クウェート駐在時には湾岸戦争に遭い、家族と共にイラク軍の人質になった経験もあります。

商学部では海外での豊富な実務経験を生かし「貿易商務論」を担当。実業と学業の架け橋を目指して活動しています。

田代教授のプロフィルや研究情報はこちらをご覧ください。

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今回は、日本の代表文化「茶道」と「交渉」についてお話ししてみたいと思います。

欧州にお茶の文化が伝わったのは東インド会社がアジアと貿易をはじめた17世紀ごろですが、日本では鎌倉時代、すでに栄西(1141-1215年)によってお茶が紹介されています(中国禅院で座睡を避ける薬として利用されたようです)。16世紀後半の安土桃山時代には、千利休が「侘びさび」を提唱し、その高みを極めました。

そして茶会は、時の戦国武将たちにとって、政治的な交渉の場としても欠かせないものとなります。刀をはずしてぎりぎりの交渉、邪心を捨て互いの心の置き場を探る、それも茶会の醍醐味の一つであったことでしょう。

同じ時期、堺の南宗寺で利休の弟子の禅僧南坊宗啓が伝えたと言われるのが、利休茶湯の秘伝書『南坊録』(または南方録)です。

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『南坊録』

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博多の立花実山により千利休の秘伝書として伝わった

南坊録では、禅師笑嶺和尚の次の言が印象的です。

「陰陽まだ動かざる前は、唯一なり。この一もまた守らざれば、即ち陰陽に於いて自在なり」「楝擇する心、憎愛の心二辺になりては不二信心信心不二の所会得すべからず」

茶道では、裏千家は茶室に右足から入り、表千家や南方流は左足からと、陰陽が逆です。しかし、この陰陽はバランスがとれて初めて一つの心になります。陰陽や互いの利益へのこだわりを捨て、絶妙なバランスを探る姿勢、これぞまさに、交渉の極意、互譲互助です。

とは言っても、貿易の交渉相手は手練手管のツワモノ、交渉術の基本は身につけておく必要があります。福岡大学商学部の「貿易商務論」では、実務研究の成果「福大流4次元交渉術」を伝授しています。 内容は?ぜひ、福岡大学に入学して講義を受けに来てください。

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