〔研究者コラム〕ー「日本の都市が生み出した『闇』を読み解く(第3回)」幽霊とは何者か?ー

全7回シリーズで「日本の都市が生み出した『闇』を読み解く」と題したコラムを紹介します。コラムを担当するのは高岡弘幸教授(人文学部文化学科)です。

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―いよいよ、現代の私たちが想像するような幽霊が誕生した理由が明かされますね!

先生:まあ、あまり興奮しないでください(笑)。江戸時代は平和な時代で、江戸、大坂、京の三都を中心に、各地の城下町の間の経済や文化的な交流が盛んになりました。特に、江戸と大坂の巨大化は、食糧や建設資材の調達などを通して、商品経済・貨幣経済の発達を促しました。つまり、「お金」こそが全てという時代が到来したわけです。今でもそうですが、お金を巡る争いはすさまじいですよね。

―はい。本当に恐ろしいです。

先生:江戸時代には、愛情さえもお金で売買できるようになったと考えていいでしょう。こうした風潮が、人間こそが何よりも恐ろしいという考え方をつくり上げることになります。大坂の町人のお金をめぐる悲喜劇を描いた江戸時代の作家・井原西鶴が、1685年に『西鶴諸国はなし』という本を出すのですが、その序文に「人はばけもの。世にないものはなし」と記します。つまり、人間こそが化物であるという考え方です。こうしたことから、江戸時代が始まって約100年たった18世紀の初めごろに、鬼や大蛇などに示される空想的な古代・中世的怪異観から、現実的・人間的な近世的怪異観に変化し、鬼や大蛇に変身しない現在のような、いわば「人間的な幽霊」が誕生したと私は考えているわけです。

―絵師の円山応挙が実際に見た幽霊を描いた絵から、幽霊の足がなくなったとも言われていますよね。

先生:円山応挙は1733年に生まれて、1795年に没しています。もし、私の考えが正しいならば、彼の生まれる以前に人間的な幽霊観が生み出されていたことになりますよね。

―幽霊はあくまで人間の想像による創造物ですね。だから、応挙の頭の中には、すでに人間的な容姿の幽霊像があったということですね。

先生:そのとおりです。また、江戸時代は歌舞伎などの芸能がことのほか盛んで、好んで幽霊・怨霊譚が演じられました。こうしたことも、幽霊の人間化に大きな影響を与えたと思います。

―芸能の中心は都市。貨幣経済の中心も都市。全てが、人間的な幽霊をつくり上げるような方向性を向いていたというわけだったのですね。

先生:そうです。だから、幽霊研究は、都市の生活や文化研究にとって、とても大切な材料になるということなんですよ。

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