- 1969
(昭和44) -
創立35年
-
人文学部、体育学部を増設
-
図書館(4代目)が竣工
-
体育寮・合宿所が竣工
- 体育寮・合宿所
- 体育寮には、後にプロ野球選手となった白仁田寛和選手(元オリックス)、榎田大樹選手(西武)、梅野隆太郎選手(阪神)や実業団で活躍の七戸龍選手(柔道)ら多くの選手が入寮。
- 1970
(昭和45) -
理学部を増設
-
工学研究科を増設
- 1972
(昭和47) -
医学部を増設
- 1973
(昭和48) -
福岡大学病院を開設
- パトカー先導による患者移送
- 香椎病院※からの入院患者85人(うち重症患者28人)の移送を県警、市消防局、各医療機関等の協力を得て実施。パトカー先導により救急車延べ24台、バス4台を使い、2度にわたって無事移送した。
※福岡大学病院が開院するまでの2年間、暫定病院となっていた
- 1974
(昭和49) -
創立40年
-
三笠宮寛仁親王殿下来学
- 1975
(昭和50) -
附属看護学校を設立
-
第二記念会堂が竣工
- 第二記念会堂
- 創立40周年記念事業の記念館として建設。現在、入学式や卒業式で使用。
- 1976
(昭和51) -
理学研究科を増設
-
商学部第二部が高宮に移転
- 1978
(昭和53) -
医学研究科を増設
- 1979
(昭和54) -
創立45年
- 1980
(昭和55) -
第1回米国研修団をウォッシュバン大学に派遣(29人)
- 1982
(昭和57) -
人文科学研究科を増設
- 1984
(昭和59) -
創立50年
-
文系センター棟竣工
- 文系センター棟
- 創立50周年記念事業で建設。
-
ロサンゼルス五輪ヨット470級に高木裕選手(経済学部4年次生)、山本悟選手(商学部4年次生)が出場
-
ウオッシュバン大学(アメリカ)が初の海外協定校に
- 卒業生数10万人超
- 1985
(昭和60) -
福岡大学筑紫病院を開設
-
キャンパス公開(現オープンキャンパス)を実施(参加者547人)
- 1987
(昭和62) -
「建学の碑」を設置
- 「建学の碑」
- 創立50周年記念事業の一環として設置。北海道夕張産のチャート(堆積岩の一種)で、原石の大きさ・重量から関門橋や関門トンネルの通行ができず、海上輸送等で搬入された。2代学長・河原由郎先生により、「建学の精神」を揮毫。
-
セミナーハウスが竣工
- 1988
(昭和63) -
ソウル五輪女子走り高跳びに佐藤恵選手(体育学部4年次生)が出場
- 佐藤選手が五輪出場
- 予選通過ライン1m92まで全て1回でクリアし決勝進出。女子の跳躍種目における五輪での決勝進出は28年ぶりの快挙。
- 1989
(平成元年) -
創立55年
- 1990
(平成2年) -
体育学研究科を増設
- 1991
(平成3年) -
「ドミトリーちゃんの森」が誕生
- 「ドミトリーちゃんの森」
- 重症未熟児網膜症を患っていたロシア人(2歳)が、福岡大学病院で手術を行い視力を回復。日ロ両国の多くの人の善意で実現した来日治療を記念し、病院敷地内に両国民に馴染み深いリンゴの木が植えられ、患者の名にちなんで「ドミトリーちゃんの森」と名付けられた。
- 1992
(平成4年) -
救命救急センター棟が竣工
- 福岡大学病院救命救急センター
- 救命救急センター開設に合わせてヘリポートを整備。ドクターヘリの離発着が可能になり、福岡都市圏の南西部地域における救命救急医療が拡充。
-
ノーベル賞受賞者日本フォーラムを開催
- ノーベル賞受賞者日本フォーラム
- 江崎玲於奈博士(73年物理学賞)、福井謙一博士(81年化学賞)のほか外国から3人のノーベル賞受賞の博士が来学。講演等を行った。
- 1994
(平成6年) -
創立60年
- 1996
(平成8年) -
60周年記念館(ヘリオスプラザ)、A棟が竣工
- 60周年記念館、A棟
- 日本を代表する建築家・槇文彦氏のデザイン。いずれも創立60周年を記念して建設。60周年記念館は、第11回福岡市都市景観賞、第39回建築業協会賞本賞受賞。
-
附属大濠中学校を設立
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大学の現況や学生の活躍、医療活動などを掲載した広報誌です。年4回(4月、6月、10月、1月)発行。在学生だけでなく、保護者の皆さま、地域の皆さまなど広くご覧いただいています。