- 1949
(昭和24) -
創立15年
-
福岡経済専門学校と福岡外事専門学校を統合し、福岡商科大学(商学部商学科)を設立(在学生数407人)
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福西戦(野球部、西南学院大学との定期戦)始まる
- 福西戦
- 第一戦は11月23日に春日原球場で開催。7対3で本学の勝利。福西戦は現在もなお伝統の一戦として続き、華やかに応援合戦を繰り広げている。
- 1950
(昭和25) -
福岡商科大学短期大学部第一部・第二部を併設(平和台学舎)
- 平和台学舎
- 福岡城跡の高台に設けられていた平和台学舎。校地は旧陸軍113部隊西部第46部隊将校集会所跡と福岡城内練兵場跡。1948年から福岡外事専門学校の校舎として使用。福岡経済専門学校と統合後の、1950年からは福岡商科大学短期大学部の校舎として使用。
- 1951
(昭和26) -
附属大濠高等学校を設立
- 1952
(昭和27) -
西鉄バスが本学直行便を開設
- 1953
(昭和28) -
商学部第二部を増設(平和台学舎)
- 1954
(昭和29) -
創立20年
- 1956
(昭和31) -
福岡大学と改称(在学生数3,593人)
-
-
法経学部を増設
-
本館が竣工
- 本館
- 地下1階付地上3階建て。1階に学長室、庶務・会計・補導の各課等、2階に学部長室、学生部長室、教員研究室等、3階に教員研究室、研究所長室、理化学教室等を置いた。
-
第1回文化祭を開催
- 第1回文化祭
- 「七隈祭」の起源。本館落成および法経学部増設を記念し、学友会主催の文化祭が電気ホール(福岡市・渡辺通)で10月30日に開催。
- 1957
(昭和32) -
自修寮が竣工(初年度入寮者数51人)
- 卒業生数1万人超
- 1958
(昭和33) -
福岡大学短期大学部を廃止
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日米交歓横浜大会ハンマー投げで岡本登選手(商学部4年次生)が60mの日本新記録
- 1959
(昭和34) -
創立25年
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法経学部を分離し、法学部および経済学部を増設
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図書館(3代目)、1号館(総合教室棟)が竣工
- 図書館(3代目)、1号館
- いずれも創立25周年記念事業で建設。1号館は、キャンパス内にある鉄筋ビル教室として最初のもの。
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ヒマラヤ探査隊を派遣
- ヒマラヤ探査隊
- 創立25周年記念事業で「ヒマラヤ探査隊」を派遣。福岡高等商業学校、福岡経済専門学校の卒業生2人(山岳部OB)に商学部3年次生1人(山岳部)が加わり、ヒマラヤのガウリサンカール峰、ギャチュンカン峰等を探査し、4カ月後に無事帰国。
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福岡大学校歌を制定
- 1960
(昭和35) -
薬学部を増設
- 1962
(昭和37) -
工学部を増設
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ひょうたん池造園
- 1964
(昭和39) -
創立30年
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第一記念会堂、学而会館が竣工
- 第一記念会堂、学而会館
- 第一記念会堂は、創立30周年記念事業の記念館として建設。当初は「記念会堂」と呼んでおり、後に第二記念会堂ができて「第一記念会堂」と呼ぶようになった。入学式、卒業式、入学試験も実施されていた。部室等がある学而会館の名称は、『論語』第一章 学而第一の一節が語源。
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- 今村有学長の告辞(1964年度卒業式)
- 「ケンブリッジ大学やダブリン大学では卒業式のことをcommencementと呼んでいます。これは『人生の始まり』『社会への門出』ということであります。(中略)諸君と福岡大学とは卒業によって絆は断ち切れないものになったわけです。諸君は福岡大学の看板(名誉)を背負っているわけであります」。
- 1965
(昭和40) -
大学院を設置(法学研究科、経済学研究科)
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ウィンザーマラソン(イギリス)で重松森雄選手(商学部4年次生)が2時間12分の世界新記録
- 重松選手がマラソンの世界新記録
- 「私を育ててくれたのは七隈の環境です。学校周辺の丘から丘を駆けて毎日汗を流した。(中略)福大を背負って走り抜いた青春は忘れることができない」(『松陵の日々』より)。
- 1968
(昭和43) -
商学研究科、薬学研究科を増設
-
公認室内50mプールが竣工
福岡大学学園通信とは?ABOUT
大学の現況や学生の活躍、医療活動などを掲載した広報誌です。年4回(4月、6月、10月、1月)発行。在学生だけでなく、保護者の皆さま、地域の皆さまなど広くご覧いただいています。