
伝える仕事に魅力を感じ、
アナウンサーの道へ
故郷でなじみ深い福岡大学へ迷いなく進学
「5秒前!」の声に、先ほどまでの和やかな雰囲気は消え、「4、3…」と続く声に全員の顔が一気に引き締まります。ここは東京・お台場、フジテレビのスタジオ。夕方の報道番組「みんなのニュース」の生放送中。カメラに向かってニュースを伝えている女性こそ、福岡大学出身のアナウンサー、生野陽子さんです。
入社1年目に朝の情報番組に出演。愛くるしい笑顔ですぐに人気を博し、今やフジテレビの看板アナウンサーの一人です。
福岡で育った生野さんにとって福岡大学は子どもの頃から身近な存在。広いキャンパスに2万人の学生が通うその規模に「THE CAMPUS」というものを感じ、「進学するなら福大」と決めたと言います。父親のアドバイスもあり、「どの職業に就いても役立つものを」と法学部へ進みました。
授業の中で強く印象に残っているのがゼミです。20~30人の少人数で行われるゼミは、先生やゼミ生と親しくなれ、専門知識を身に付けられます。生野さんは、林弘子先生から労働法などを、野田龍一先生から民法などを教わったと振り返ります。中でも、林先生のパワフルで熱心な指導が今も心に残っていると言います。
「先生は、『人の話を聞きながら、常に質問を3つ考えなさい』とおっしゃっていました。その姿勢は、取材をする今の仕事に生きているように思います」。
人にしろ言葉にしろ、出会いとは奇なるもの。今、その言葉が身に染みるとは当時思いもしなかったでしょう。なぜなら、生野さんは当時エクステンションセンターの公務員採用試験対策講座を受講し、公務員の道も考えていたからです。
学生時代の経験からアナウンサーの道へ
1年次生の時からモデルやリポーターのアルバイトを始め、2年次生の時には地元テレビ局の朝の情報番組でお天気アシスタントとして活躍した生野さん。アナウンサーを志望して、こうした活動を始めたのかと思いきや、意外にもそうではなかったと言います。もともと人見知りで慎重派。情報誌のモデルとしてアルバイトをする際、モデル事務所との契約に父親と一緒に行ったほどです。
転機は3年次生の時。同番組の男性アナウンサーである近藤鉄太郎氏(1995年本学法学部卒業)の真面目な仕事ぶりに刺激を受け、「伝える仕事」への興味が湧くと同時に、笑顔で情報を伝える姿を見た友人から「朝から元気をもらった!」と言われて、この仕事にやりがいも感じたとか。「伝える仕事」をさらに深めたいと、アナウンサーの道を志します。
就職採用試験の早い関東のキー局を訪問。フジテレビで「自社が大好き」と言うほど愛社精神にあふれた社員に出会い、「皆で一緒に頑張りたい」と同社を志望して挑戦。見事合格し、今では皆さんもご存じのとおり、目覚ましい活躍を見せています。
慎重派ながら好奇心は旺盛。「何事も経験」という思いで早朝の番組からバラエティ番組まで提案された番組は何でもチャレンジ。それが自分を成長させ、仕事の幅を広げる結果につながっています。それはまた、福岡でのリポーター時代に「テレビに映るのはほんの一部分。華やかなようで地味な作業が多い」と知り、「映るまでに情報収集などの準備を怠らず、物事を伝えるためには知識や経験が必要」と身を持って学んだものでもありました。
HISTORY 先輩の足跡
1984福岡市生まれ
2003福岡大学入学
2004地元テレビ局で
お天気アシスタントとして経験を積む


人気番組のお天気アシスタントに抜擢。
原稿の下読みなど仕事に向き合う姿勢を、共に働く方々から学びました。社会人として、またアナウンサーとしての基礎を学び、入社後に大変役立ちました。
2007福岡大学卒業


当時「第四食堂のかつ丼」が大人気。卒業式の日、思い出に晴れ着姿のまま食べました。中央図書館工事に伴い、現在その食堂は姿を消しています。
2015-現在「みんなのニュース」キャスター



「めざましテレビ」卒業後、2014年から、夕方の報道番組に。現在、毎週月~金曜の16時50分から19時まで、伊藤利尋アナ、椿原慶子アナらと共に出演中。幅広い見識・突発的事態への臨機応変な対応など、総合的な高い能力が求められます。
何ごとにもチャレンジ。
やりたいことが見えてきて
自身の成長につながります。
やりたいことが見えてきて
自身の成長につながります。
情報番組から報道番組へ「伝える」重みを実感
仕事に大切なものは「チームワーク」であり、お互いが助け合って番組という一つの商品を作り、視聴者に何らかの気持ちを届けるのがこの仕事の醍醐味です。ただ、取材で人に向き合うときには、悩むことも多々あるそうです。
「東日本大震災後に被災地を訪れた時のこと。ボランティア活動で訪れたわけではない私たちは、被災者の方から必ずしも歓迎されているわけではありませんでした。話を聞いて、辛い思いをさせることもありました。どのように取材するのか。何を伝えるべきか。悩みながら被災地を回りました」。
被災地では小さな子どもでさえ周囲を気遣い、我慢して「辛い」という言葉を発しないそうです。しかしある日、一人の小さな女の子にマイクを向けると、女の子は「友だちがいなくなって辛かった」と、生野さんに打ち明けました。それを隣で聞いていたその子のおばあさんが「初めて辛いと言ってくれた」と安堵の表情を浮かべたのです。生野さんは、率直に心のうちを明かしてくれた女の子、その横で安心するおばあさんの姿を見て「人として、報道に携わる者としての役割を改めて感じた」と涙を浮かべて語ってくれました。
情報番組から報道番組へと活躍の場を移し、ニュースを読むことが増えた生野さんは今、よりいっそう「伝えること」の難しさを感じています。
「今、大事にしていることは、ニュースを正確に適切に、いち早く伝えること。記者が書いた原稿を分かりにくい、読みにくいと思ったら、記者や上司と話し合って書き換えることもあります。私が原稿を読んでオンエアされたら、その後の訂正は難しく、いわば私は最後の砦です。チェックする最後の人間として責任を持って原稿を読み、しっかり伝えたいと思っています」。そう話す表情はそれまでの笑顔から一変して真剣そのもの。仕事への情熱と責任を感じさせます。報道番組は生放送。VTRを見た後にコメントを求められたり、速報が飛び込んで来たりすることもあり、それらに対処するには日頃の準備が大事だそうです。
「正確にかつ適切に伝えるために、私はできるだけ中立でいたい。それにはあらゆる角度から、あらゆるものを見ないといけません。さまざまな立場の人の話を聞き、自分のコメントについても目上の人の意見を聞くようにしています」。
あらゆる角度から物事を考える―。それはまさに法学部で学んだことでした。授業では、さまざまな判例を見て、法律に照らし合わせて答えを導いていきました。大学で学んだことが卒業して10年経った今、報道の仕事に大変役立っていると、話してくれました。

東京・お台場に立つフジテレビ本社。
屋内から七色に輝くレインボーブリッジが見えます。

「仕事中のエピソードを」という質問に「失敗ばかり」と明るく笑う生野さん。周囲から助けられていると言い、飾らない性格が生野さんの魅力です。

番組直前まで放送内容やコメントについて話し合い、カメラが向けられる瞬間まで原稿に目を通し、小さな声で音読しています。

発音アクセント辞典、電子辞書、ストップウォッチは必携品。専用の箱に入れてスタジオからスタジオへ移動します。
大学で出会った友人は財産
幅広く考える力を養い、多くの友人をつくろう
日頃から努力を続ける生野さんですが、「大学時代にもっと勉強しておけばよかった」と思う時もあるそうです。後輩の皆さんには「勉強を頑張ってもらいたい」「考える力を養ってもらいたい」と話します。
「多くの知識を身に付けなければ、どんなに考えても答えを出せません。知識と共に、いろいろな角度から論理的に考える力を身に付けてください」とアドバイスをくれました。
そして、もう一つのアドバイスは「友人をたくさんつくること」。大学で出会った友人とは今も仲が良く、「友人は一生の財産」と言います。「福大は学部が多く、さまざまな人、文化、知識に触れることができます。多くの人と知り合い、多くの友人をつくってください」。
生野さんの次の目標は3年後の東京オリンピックを報道すること。昨夏のリオデジャネイロオリンピックの取材を経験し、「勝っても負けても選手の言動に心を動かされた」と話します。自分が受けた感動を多くの人に伝え、感動を分かち合いたい。「伝える」難しさの先にある「伝わる」喜びに向けて、生野さんのチャレンジはまだまだ続きます。