北九州市若松区長
奥野 静人さん 1990年工学部土木工学科(現:社会デザイン工学科) 卒業
2022年に60周年を迎えた若戸大橋や旧古河鉱業若松ビル等、歴史ある街並みが広がり、高塔山からの夜景は日本新三大夜景の1位に認定された北九州を代表する夜景スポットも擁する北九州市若松区。現在、2025年度中の運用開始に向け、洋上風力発電の総合拠点化といった大規模なプロジェクトも進んでいる若松区の区長を務める奥野静人さんにお話を伺いました。
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プロフィール
名前:奥野 静人(おくの しずと) さん
経歴:北九州市出身。1990年、福岡大学工学部土木工学科を卒業。北九州市役所に入職。
2012年、建築都市局整備部副都心拠点施設企画担当課長。黒崎駅副都心構想プロジェクトメンバーとしてコムシティ再生計画に携わる。
2015年、建築都市局まちづくり推進室まちづくり推進課長。北九州市内全域のまちづくり計画を統括。
2017年、建設局公園緑地部緑政課長。北九州市役所横の勝山公園に、全国初の公募施設管理制度(Park-PFI)を活用して飲食店を導入する。
2019年、建築都市局計画部長。北九州市と下関市の都心部を結ぶ「下関北九州道路」の計画等に携わる。
2023年、若松区長に就任。


―福岡大学に進学した理由
学生時代、地元の北九州市に住みたいと思い、卒業生が多く、人脈が生かせる大学は福岡大学だと考え志望しました。家業が建設業だったこともあり、土木工学科(現:社会デザイン工学科)に進学しました。工学部には全国的に有名な先生が多く、その授業を受けてみたいと思ったことも進学を決めた理由の一つです。大学生活は、キャンパスの雰囲気に魅了され、素晴らしい学習環境を活用しつつ、3・4年次では実験や卒業論文のために「道路・土質研究室」にこもっていました。
―現在のお仕事を志望された理由
実習で、長崎自動車道の工事現場を訪れた際、「地図に残る仕事がしたい」と思い、北九州市役所でインターンシップを経験しました。インターンシップではありましたが、毎日遅くまで仕事に関わり、職員の働きぶりを見て“公務員”の仕事は面白そうだと思いました。卒業後は公務員、ゼネコン、コンサルタント、家業の選択肢から「やはり街づくりがしたい」と1990年に北九州市(技術職:土木)に入職しました。
―お仕事の内容・魅力・やりがいについて
北九州市役所の土木職の場合、業務内容も、企画・計画、設計、現場監督など幅広く、若い時はいろいろな部署を経験することで、キャリアのベクトルが定まっていきます。私は入職後、道路計画、折尾駅周辺のまちづくり計画、コムシティ再生計画など、まちづくり部門を中心に担当してきました。それらのキャリアを経て、2023年4月に若松区では技術(土木)職として初の区長に就任しました。
今は、区民に一番近い場所で、北九州市との一体性を保ちながら、区民の要望や地域課題に素早く的確に対応できるよう心掛けています。皆さんに“ありがとう”の言葉をもらった時は嬉しい気持ちでいっぱいになります。
―お仕事では、どのような能力・知識・経験が大切ですか
卒業して30年以上が経ちますが、街づくりを行う上で、企画・計画、設計、現場監督などに大学で学んだ社会デザインの知識が応用できています。設計を行う際も、水理学、構造力学などの基礎知識がないとコンサルタントに発注できませんし、コンサルタントの成果品のチェックもできません。大学で修得した基礎的な知識が、今の仕事につながっています。
―今後の抱負について
私の好きな言葉の中に“不易流行”があります。この言葉を胸に、日々業務を行っています。伝統を大切にしながら、新しいものにも挑戦する。今の若松区は、歴史や自然、海・農産物、環境・エネルギー産業など多様な魅力を十分に生かせていません。若松区そして北九州市の活性化に向け、地域で活動されている団体などとさらに意見交換を深め、「観光」「教育」など“若松の未来づくり”を進め、日本のコート・ダジュールのような街を目指します。
―福岡大学で学ぶ後輩へのメッセージをお願いします
大学での勉強に限らずいろいろと失敗を恐れず挑戦してほしいです。その挑戦の中で、コミュニケーション能力も磨いてください。
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関連リンク
工学部ウェブサイト
社会デザイン工学科ウェブサイト