唐津工業高校 教諭
副島 浩史さん(2012年スポーツ科学部スポーツ科学科卒業)
2007年夏の甲子園大会決勝で逆転満塁ホームランを放ち、佐賀北高校を優勝に導いた副島浩史さん。高校卒業後は福岡大学スポーツ科学部に進学し、九州六大学野球リーグでベストナインを受賞するなど、野球部でも活躍されました。現在、唐津工業高校で教鞭を執り、指導者として甲子園の舞台を目指す副島さんを取材しました。

唐津工業高校野球部で指揮を執る副島さん

部員と笑顔で写真に収まる(前列右から2人目が副島さん)
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プロフィール
名前:副島 浩史(そえじま・ひろし)
経歴:佐賀北高在学時に夏の甲子園大会で優勝。2008年に福岡大学スポーツ科学部スポーツ科学科に入学し、在学中は野球部に所属。3年次秋に九州六大学野球リーグで本塁打王・打点王の二冠に輝き、ベストナインを獲得。2012年に卒業後、一度は地方銀行に就職するも、指導者になる夢を諦めきれず、3度目の挑戦で教員採用試験に合格。2018年秋から唐津工業高校野球部の監督として指揮をとっている。
ー夏の甲子園優勝などを通じて、副島さんが高校時代に学んだことを教えてください。
挑戦することの大切さを学びました。また、挑戦するにも、それまでのプロセスもまた重要であるということも学べたと思っています。
高校に入学してからは、思うような結果が出ずに悩んだ時期もありました。しかし、当時監督だった百崎敏克先生から努力の大切さを教わり、結果が出なくても地道に練習しました。「努力しても結果は出ないかもしれないが、努力しないと結果は出ない」という言葉が特に印象に残っています。その言葉を信じて誰よりもバットは振ったと思いますし、その結果が甲子園優勝につながったのだと思います。その時の教訓は今も生きていて、それを生徒に伝えています。
ー福岡大学に進学した理由を教えてください。
もともと福岡大学に進学したいと考えていました。また、保健体育の教員免許を取りたいと考えていたので、スポーツ科学部への進学を決めました。
ー福岡大学での4年間で印象に残っていることはありますか。
福岡大学でも野球を続けましたが、入学後早々に怪我をしてしまい、野球ができない日々が続きました。「もう野球を辞めよう…」と思った時期もありましたが、仲間や家族の支えがあり、必ず復帰して結果を残そうと思いました。リハビリの日々と、仲間との練習は今も私の原動力になっています。結果的に神宮大会への切符を勝ち取り、全国の舞台で勝利できたことは本当に良い思い出です。
-卒業後、教員をされるまでの経緯を教えてください。
大学卒業後は地元の銀行に勤めていましたが、野球への情熱と甲子園への思いが消えることはありませんでした。大学で教員免許を取得していたので、今度は指導者として甲子園を目指そうと思い、教員の道を志しました。教員採用試験合格への道のりは決して簡単ではありませんでしたが、特別支援学校で講師をしながら3度目の挑戦で合格を果たしました。
現在は、唐津工業高校で体育の教員をしています。また、2018年秋からは同校野球部の監督を務め、指導者として甲子園を目指しています。
ー現在のお仕事のやりがいを教えてください。
生徒とともに学び、生徒の成長を感じる現在の仕事には、大きなやりがいを感じますね。卒業した生徒に食事に誘われたり、連絡を取ったりと、卒業後も関わることができるのも、とても嬉しいことです。
今後も、佐賀県の高校生のために全力を尽くして指導したいと思います。また、指導者として甲子園の舞台にもう一度立つという夢を叶えるため、日々精進したいと思います。
ー最後に、福岡大学で学ぶ後輩たちへ、メッセージをお願いします。
大学では多くの経験を積み、さまざまな視点で物事を捉える力を磨いてほしいと思います。とにかく楽しい大学生活です。時間を無駄にせず、今しかできないことに全力で取り組み、悔いのないようにしてもらいたいですね。
そして、たった一度の人生、「夢に向かって挑戦を続ける心」を忘れないでほしいと思います。