
人との出会いや現場経験を生かし
新しいことに挑戦。
常に前へ。
副知事として新社会推進部、
福祉労働部、県教育委員会などを担当
大曲さんは福岡県で3人目の女性副知事。生え抜きの女性行政職員からは、初めての就任です。これまでにも県庁内最年少で部長職(新社会推進部)に抜てきされるなど、輝かしいキャリアを築いてきました。大曲さんは、優しく温かな雰囲気を持つ女性。相手を真っすぐに見て、話をじっくりと聴き趣意を的確に捉え、自分の意見や思いを分かりやすく伝える、しなやかな知性と感性の人でもあります。「副知事になって一番良かったと思うのは、県民の皆さんの話を聴く機会が増えたこと。さまざまな生活者の声に耳を傾けるのは基本中の基本ですから」。そう言って、柔らかにほほ笑みました。
副知事として担当するのは、新社会推進部、福祉労働部、県教育委員会など。「若い多感な時期や就職活動の際、真剣に考えていたのは、女性という枠に縛られず、一人の人間として精神的・経済的に自立することでした。それが公務員という道を選んだ理由です。その後、結婚して家庭を持ち、3人の子を育てるという経験を得ることができました。おかげで現在担当する業務を、自分に身近で切実な問題として捉えることができています」と大曲さん。仕事上のモットーは「守りに入らず、新しいことをやっていくこと」「世の中のニーズや流れを常にキャッチしていくこと」「言わないと伝わらないし、何も変わらない」。
明快な言葉でコミュニケーションを図る「前例にとらわれないこと」。それは副知事になっても変わらないと言います。もう一つ心掛けているのは、「自分から職員の中に溶け込んでいくこと」。フランクに話し合いながら現場の状況や課題を知り、スムーズに組織を変革していくのが大曲流です。コミュニケーションを取ることで、その人の内面も見えてきます。「良いところを伸ばして育てていくのも、管理職の大切な仕事です」。母のような、慈しみにあふれた笑顔になりました。

明快な言葉でコミュニケーションを図る
自動車部で総合大学の魅力を実感
学びを通して新鮮で知的な刺激を得る
富山県で生まれ、転勤族だったお父さまと共に各地を転々とした大曲さん。大学進学の際、ご両親の出身地である福岡県で家を構えることになり、この地の大学へ進学することに。福岡大学を選んだのは「総合大学であることに引かれて」、法学部経営法学科に進んだのは「法律、経済、経営を学び、世の中の動きを知りたかったから」とのこと。
入学後間もなく体育部会「自動車部」に入部。当時は全学生が「水泳の体育授業で50mを泳ぐ」必修科目があり、それがクラブに入れば免除される、という動機からでした。軽い気持ちで入部した自動車部でしたが、大曲さんはここで総合大学の魅力を実感します。「文系の自分とは違う理系の仲間と交流することで、その視点や発想に目を開かれる思いがしました」。あくまで私だけの見方かもしれませんが、と断りながら大曲さんはこう言います。「例えば、工学部の学生は物事を感情ではなく理性で、冷静に捉えます。目の前の物事を機械のように見て、そのメカニズム(仕組み)を分析していく。そして機械を修理するように解決していくのです」。今までの自分の世界になかった「異質」との出合いから、新しい世界が広がっていきました。
学びの中にも知的な刺激がありました。今でも思い出すのは、元衆議院議員・太田誠一氏(当時福岡大学経済学部助教授)による「近代経済学」の授業。今、動いているリアルな現象として経済を捉える見方から「行政という職務に欠かせない“経済で世の中の先を読む”という視点を養えた」そうです。英語のヒアリング授業も印象的な授業の一つ。語学の授業で「聴く力」を磨きました。「当時の英語授業は話す力・聴く力を重視するものではなかったので、この授業はその先駆けですね。福岡大学の先見性を象徴する授業でした」と大曲さんは振り返ります。その傍ら、アルバイトではデパートの外商や学生服店で、接客業を経験。さまざまな職種を通して得たのは生きた敬語、仕事に対する真剣な姿勢、実社会でのコミュニケーション力でした。
チャンスは、
前向きな人にしか
キャッチできない。
そのチャンスを
キャッチしたら、
思いきりチャレンジする。

一人の人間として精神的・経済的に自立するため
福岡県の職員へ
多忙な学生生活の中でも、決して勉強に手を抜くことはなかった大曲さん。3年次には特待生に選ばれました。勉強にこだわっていたのには深い理由があります。「幼い頃から、自分でお金を稼いで、自立して生きていきたいと思っていたのです。女性という枠で自分の可能性を狭められたくありませんでした」。大曲さんにとって「自立」は人生の大きなテーマでした。
やがて就職活動の時期。学科で成績トップの大曲さんには洋々たる未来が開けているはずでした。しかし、当時は男女雇用機会均等法施行以前。女子学生の就職は大変厳しいものでした。企業への推薦を受けることもできず、「女子はコネを生かしなさい」と言われる現実。入社してもお茶酌み程度の仕事しか与えられず、数年たてば「寿退社」が一般的でした。そんな状況の中、「女性が働き続けるには公務員か教員」と思い定めた大曲さんは、大学での学びが生かせる公務員を目指しました。そして卒業後、福岡県の職員採用試験に合格したのです。
大きな夢を持って最初に配属されたのは、女性は補助的な業務ばかりの部署。それでも自分なりに与えられた仕事の意義を見つけ、工夫を加え、次につながるように努めました。チャンスをキャッチしたら、思いきりチャレンジする。大曲さんの生き方です。
「仕事も子育ても苦労と思ったことがない」と、
優しく温かく、強く
25歳の時に結婚、そして出産。「仕事と家庭の両立」「子育て」というテーマへのチャレンジが始まります。3人の子どものうち、2人目までは産休で復帰。当時は乳児を育てながらの本庁勤務は少なく、出先機関に出向するケースが多かった中、大曲さんは「出産という理由で配属先が変わるのはおかしい」と意思を伝え、出産前と同じ本庁で働くことを認められました。また、子どもに手が掛かる時期は「ノー残業」を宣言。公務時間内に成果を出し続けました。女性の労働条件改善の先駆けといえる行動でした。「前例にとらわれないことをやりたがる性格なのです」と快活に笑う大曲さん。その信条は、公務以外にも発揮されました。子育ての傍ら、PTAの役員にも立候補したのです。担当は広報委員長。多忙にもかかわらず、あえて立候補したのは、ある思惑があったからです。「その時のPTA広報委員会は週に1回、会議を開いていました。働く女性にとって大きな負担です。この習慣を月1回に変え、それでも活動に支障がないよう、組織やシステムを変えていったのです」。月1回なら気軽に参加できる。誰かがやるべきことなら率先してやる。こうして、テーマを自分流にクリアしていきました。
子育てと並行して、大曲さんは幅広いキャリアを歩んでいきます。保健福祉部時代は、福祉事務所で生活保護のケースワーカーや知的障がい者の支援を行いました。さらに人事委員会などを経て、新社会推進部青少年課青少年アンビシャス運動推進室企画監へ。そして2010年には子育て支援課長に抜てきされました。「例えば、産後うつになる人の気持ちが実感として分かる。これは強みですね」。
キャリアの積み重ね、そして子育て。現在に至る道のりは、決して順調なことばかりではないはず。そう考え、水を向けると、大曲さんは柔らかに首を横に振りました。「私は仕事も、子育ても苦労と思ったことがないのですよ。子育てを通して、私自身が成長できましたから」。仕事でさまざまな部署を回って現場を知り、組織の在り方を変革し、リーダーシップを磨いていった大曲さん。「そのような貴重な経験が、今の仕事にとても役立っていますから」。

座右の銘は「無」。
物にこだわらなければ何でもできる。
何でも受け入れられる。
そんな気構えで女性県職員の先陣に立つ
小さくまとまらず、固まらず。
良い意味で八方破れに。
感性と個性を際立たせながら
人との協調も大切に。

「子育ての経験が今の公務に生きています」

祝儀袋は今でも貴重な思い出の品
18歳で自立を意識できる人間へ
子どもたちの指導と支援に取り組む
「明るく、前向き。今はそうですが、高校時代は反抗的で、尖っていて、いつもイライラしていました」。そんな自分が、福岡大学での4年間で変わったと大曲さんは言います。「出会う人々は、全て自分の鏡でした。経験を重ね、人と触れ合うことで、自分と向き合うことができました。大学で初めて、行動しながら考えるというスタイルが身に付いたのです」。
大曲さんが掲げる「自立」というテーマには、「子どもたちの自立支援」という意味合いも含まれています。「今は少子化で、そのせいか親が子どもに手を掛け過ぎ、親がレールを敷き過ぎている気がします」。だから子どもたちには、自分自身でレールを見つけることができるように指導・支援していきたいと、真剣な表情を浮かべる大曲さん。「そのためには18歳をめどに自立を意識できる人間になってほしいですね」。
最後に、福岡大学の後輩たちへメッセージをいただきました。「小さくまとまらず、固まらず。良い意味で八方破れになってください。感性と個性を際立たせながら人との協調も大切に。そして常にチャレンジを忘れずに」。メッセージの内容はそのまま福岡大学の学風であり、そして大曲さんの信念でもありました。