福岡大学学園通信 No62
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18FUKUOKA UNIVERSITY MAGAZINE June 2018プロデューサーも兼務、新たな制作のステージへに残っています。「川村さんからは、『ラジオを聴いている人は大抵一人で居ます。だからこそ〝皆さん〞ではなく〝あなた〞と呼び掛けるべきなのでは』と教わりました。自分に語り掛けてくれていると感じるから聴いてくれる。あらゆる想像を膨らませて、どう共感してもらえるか考える。そうか、これがラジオなんだ、と膝を打ちました」。 アナウンサーやDJとしての仕事に充実感を覚える一方、やがて「自分が楽しむだけではなく、皆のためになることをしよう」と思うようになった西川さん。そのために何をすべきか、思いを巡らせるようになりました。 長く番組を続けるうちに多くのメッセージが寄せられるようになり、イベントでリスナーと交流する機会も増えていきます。そんなある日、西川さんもよく知るリスナーの母親から番組にメールが届きました。そこには〝いつも一緒に番組を聴いていた娘が交通事故で亡くなった〞と書かれていました。 「番組の中では紹介しませんでしたがショックで…。イベントを通じて親しくさせてもらっていたとはいえ、家族や親戚でもない自分にメッセージを送ってくれたことに、何とも言えない気持ちになりました。その時、思ったんです。リスナーの皆さんとは本当の家族にはなれないけれど、それに近い気持ちを持って番組に臨まないといけない、と」 リスナーの生活に寄り添い、うれしい報告があれば心から喜び、時には前向きに助言することもあります。彼らのお兄さんとして、時にはお父さんとして、何かあった時に話し掛けてもらえる存在になりたい。 それが西川さんの出した一つの答えでした。 インタビューの最後に、後輩へのメッセージをお願いすると、少し考えて口を開きました。 「今経験していることは全て社会で役に立つと信じて、僕は大学時代を過ごしてきました。実際、今の仕事に生きていることは多いですし、例えアナウンサーになっていなくても、役に立つものは他にたくさんあったと思います。だから〝あまり先のことは考え過ぎずに、目の前のことを一生懸命やろうよ〞と言いたいですね。何のためにやっているのか分からなくても、今はいいんじゃないでしょうか」 西川さんは今年4月の制作現場復帰後、番組全体を管理するプロデューサーとしての仕事も加わりました。スマホのアプリで全国のラジオ番組が聴ける「ラジコ」の登場で、一地方局から全国に情報発信ができるなど、ラジオを取り巻く環境も変化を続けています。 「プロデューサーとして多くの人に聴いてもらえる番組を作りたい。でも、アナウンサーとしてつまらなくなったね…と思われるのは嫌なんですよ」 アナウンサーに憧れ、そこに向かってただ走り続け、理想像を求めてきた半生。新たな職務となったプロデューサーとして、そしてアナウンサーとして、西川さんの挑戦はこれからも続きます。サークル合宿でアナウンスメント研究愛好会の仲間たちと(前列右から3人目が西川さん)1年次生の時の七隈祭で、イベントの司会を務める西川さん入社5年目、「BOOM UP! Fukuoka」のメインパーソナリティを務めていた頃5疾走の軌跡~写真で振り返る、あの日・あの時~

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