福岡大学学園通信 No62
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16FUKUOKA UNIVERSITY MAGAZINE June 2018「アナ研」の存在を知り、福岡大学に進学 取材当日、少し早めに到着したエフエム福岡本社ビルの廊下で、いきなり西川諭さん本人に鉢合わせしました。一瞬の驚きの表情の後、すぐに人懐こい笑顔を浮かべ、「今日はよろしくお願いします」と物腰柔らかく控室に案内してくれます。取材では時折、笑いを交えながら、一つ一つの質問に丁寧に答えてくれました。和やかな雰囲気の中で、時を忘れて話に引き込まれていきます。 西川さんは1997年に本学商学部商学科を卒業後、全国で4番目に開局した民放FM局のエフエム福岡に入社。アナウンサーとして歩み始めました。ニュースやCMナレーションを担当しながら経験を積むと、2001年に夕方の生放送番組『BOOM UP!Fukuoka』のメインパーソナリティに抜てきされ、人気ディスクジョッキー(DJ)の仲間入りを果たします。2006年4月からは〝スタモニ〞の愛称で知られた朝6時からの『STAND UP! MORNING』を7年間担当し、〝朝の顔〞として親しまれてきました。 その後、営業部への異動を経て今年4月、3年ぶりに制作の現場に戻ってきました。 北海道で過ごした小学生の頃から、人前で話をすることや朗読が好きだったという西川さん。ただ、タレントや芸人になるイメージは浮かばなかったと言います。転機は6年生の運動会でした。リレーの様子をマイクで〝実況〞したところ、顔見知りのおばさんから「さとり君、すごかったね。競馬を見ているようだったよ」と言われたのです。小学生のリレーも、喋り一つで競馬の実況のように聞こえる…。言葉の持つ不思議な力を感じ、アナウンサーという職業を意識するようになりました。 中学生になり、福岡で過ごすようになるとラジオの深夜番組に熱中します。お気に入り番組の一つKBCラジオ『PAO〜N(パオ〜ン)』では、同局アナウンサーでメインパーソナリティを務める沢田幸二さんの話に魅了されました。「タレントでなくても、こんなに面白いトークができるんだ」。アナウンサーとして、リスナーと楽しい時間を過ごす自分の姿を想像し、夢を膨らませました。 そんな西川さんが、社会へのステップとして選んだのが福岡大学でした。 「まずは〝福岡大学〞という名前に引かれました。福岡にある大学、ということが一発で分かりますから、社会に出て〝福岡大学出身です〞と言えば〝福岡の方なんですね〞と話のきっかけにもなりやすい」 もう一つ、将来を見据えて具体的な理由もありました。 「高校の先輩が、今は無くなってしまいましたが、福大のアナウンスメント研究愛好会(アナ研)に所属していて、〝面白いよ〞と言っていたんです。その頃はもうアナウンサーになることばかりを考えていましたから、自分も福大でアナ研に入ろう、と」 入学試験では経済学部と商学部に合格しましたが、福岡大学の前身が商科大学であることを知ると、先々、「福大の〝源流〞である商学部出身です」と言えるという理由で、商学部を選択。すでにこの頃から、話題づくりに勤しむラジオパーソナリティの一面が垣間見えます。 当時のアナ研は部員100人弱の大所帯で、テレビ局などにもアナウンサーを輩出していました。KBCアナウンサーの近藤鉄太郎さん(1995年法学部卒業)もその一人で、2つ上の先輩に当たります。 部員全員がアナウンサー志望ではありませんでしたが、〝喋り〞について関心を持つ人たちの集まりでした。アナウンサーを志していた西川さんは「発声」や「フリートーク」など日々の練習に熱が入ります。やがてサークル屈指の〝アナウンサー〞となった西川さんは、七隈祭などで各サークルからイベントの司会を毎年のように頼まれることになります。そこで「面白かった」と言われるたび、自信が増していきました。ラジオの深夜番組に熱中、アナウンサーを志す
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