福岡大学学園通信 No61
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19FUKUOKA UNIVERSITY MAGAZINE April 2018就職・進路どの仕事も正面から向き合う踏ん張った先に何かがある苦手も嫌いも全てが糧与えられた場で最善を尽くす市役所での仕事にやりがいを感じ始めた中園さんでしたが、全てが順風満帆だったわけではなく、葛藤は続きます。上司に鍛えられ、能力を高めて仕事ができるようになってきたと自信をつけ始めていた中園さんは「このまま本庁で仕事を続けたい」と希望を出していました。ところが翌年、西区役所の土木農林部管理課へ異動。「自分は認められていないのだろうか…」。さまざまな思いが去来しましたが、それでも気持ちを奮い立たせます。管理課は、西区における道路や下水道、公園などの社会インフラを管理する部署で、中園さんはこれらの工事に関する経理業務を担当しました。直接工事に携わることはありませんが、業務上、設計書や図面の内容を理解する必要がありました。分からないことは現場の技術職の職員に尋ね、何度も読み込んでいくうちに勘所がつかめるようになります。すると「工事の図面が読める行政職」として、現場から信頼されるようになっていきました。「現在、副市長として社会インフラを担当する立場ですが、現場と直接、意思疎通ができますし、考えも理解できているつもりです。この時の経験やネットワークが、非常に役立っています」その後も転機と呼べるタイミングは幾つも訪れました。中でも福岡市美術館での勤務経験は、その後の考え方に大きな影響を与えました。中園さんは子どもの頃から大の美術嫌い。図画工作が不得意で、「この世から美術がなくなればいい」とまで思っていました。仕事とはいえ、美術に付き合わなければならない不運を嘆き、着任してすぐに、「来年の異動で職場を変えてほしい」と上司に直談判するほどでした。「美術館は学芸員のフィールドで、自分は関われない世界。私は単なる館の管理人のつもりでした。ただ、これも使命だと思いました」。であるなら、与えられた使命を達成することで、何かが変わるかもしれない、そう考えた中園さんは、前例にとらわれない〝改革〞を進めていきます。例えば決して手抜きはしない。真摯な気持ちで目の前の仕事に向かう■1 福岡市役所の本庁。中園さんが入庁した時は93万人だった市の人口は今や157万人に達し、さらに増え続けている ■2 「福岡市はこの数年で、一流都市として扱われるようになった。その道を走り続けられるよう、市長に伴走しながら志を高く持ってやっていきたい」(市役所一階ロビーにある福岡市の写真パネルを背景に) ■3 福岡市美術館での勤務をきっかけに、美術の魅力に取りつかれたという中園さん。執務室には美術に関する書籍も並び、現代アートの話になると語り口も熱を帯びる213

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