福岡大学学園通信 No61
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18FUKUOKA UNIVERSITY MAGAZINE April 2018大学と市役所で多様な価値観を知った失意の日々を経て商学部第二部へそこから人生が動き始めたアジアの玄関口として成長を続け、今や157万人が暮らす福岡市。市民の生活を支えつつ、将来を見据えた成長戦略を打ち出す市役所にあって、髙島宗一郎市長のリーダーシップをサポートする一人が副市長の中園政直さんです。農林水産局水産部水産課を皮切りに、数々の部署を歴任。水産部長を務めた後、2013年に副市長に就任しました。現在は二期目に入り、住宅都市局、道路下水道局、港湾空港局、水道局、交通局などを担当しています。屈託のない笑顔で、親しみをもって対応していただく姿に、たちまち親近感を覚えます。まずは学生時代の話を聞こうとすると、「私は決して優秀な学生ではなかったし、公務員志望でもありませんでした」と意外な答えが返ってきました。そして「自分のことを話すのはあまり得意ではないのですが…」と前置きし、ゆっくりと口を開いてくださいました。中園さんは、商学部第二部のご出身ですが、その進路選択に際しては、深い心の葛藤があったと言います。「高校は進学校。当時の私は、上しか見ていないような、どこか鼻持ちならない生徒でした」。ところが受験では、ことごとく志望校に不合格。そもそも自分が何をしたいのかも分からなくなり、すっかり自信をなくしてしまいました。同級生たちが大学に進学して新しい生活をスタートする中、何も手につかなくなってしまったと言います。悶々と過ごす時間が2年に及ぼうとする頃、ようやく下した一つの決断が、夜間、大学に通うことでした。「環境を変えて勉強すれば、何かヒントが得られるのではないかと思いました」。転機は意外と早くやってきました。入学して1カ月ほどしたある日、「福岡市職員の臨時募集」の求人が目に飛び込んできたのです。それまで親に心配を掛けてしまっていた申し訳なさや負い目もあり、まず自分の力で稼ぎ、新たな生活へ一歩踏み出そうと受験し、合格しました。6月に採用となり、7月から市役所と大学、二足のわらじの生活が始まりました。17時まで市役所で仕事をし、それから当時、福岡城跡にあった商学部第二部の校舎に通いました。学生の約9割が社会人だった教室には、同じく市役所から通い「いずれ先生になりたい」と志を持ち、実際に教員に転身した人もいました。ほかにもさまざまな年齢、職業、事情を持った人が集い、多様な価値観に触れながら大学生活を送ることができました。仲間たちの姿に刺激を受けて失意の思いも徐々に癒やされ、前向きな姿勢を取り戻していきます。職場では、最初の配属先が農林水産局水産部水産課。どのような仕事かも分からず、親に「漁船に乗るのかな」と話したほど。市役所の仕事に対する興味や意欲はありませんでした。「あくまでも仕事は生きていくための手段と割り切り、いつかは別の道へ踏み出そうと考えていました」と中園さんは振り返ります。そんな中園さんを変えてくれたのが、最初の職場で出会った上司の厳しい言葉でした。「仕事は与えられたものをこなすだけではいけない。知恵や勇気を持って、魂を吹き込むものだ」仕事とは、行政とは何たるかを徹底的に叩き込まれた中園さんは、この上司の期待に応えたいと仕事にまい進するようになります。大学を卒業する頃には「行政も捨てたもんじゃない」と思うようになっていました。

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