福岡大学学園通信 No60
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第二グラウンドです。レギュラー外のメンバー約120人が限られた環境の中で、いかに効率良く練習できるかを考え、切磋琢磨しています。「レギュラーになりたい」という強い気持ちを持った仲間たちと3年間を過ごし、たくさんの思い出が詰まった大切な場所です。「強いチームで野球がしたい」「海外に挑戦したい」との思いから、規模が大きくさまざまな出会いや学びが得られそうな本学を選びました。海外派遣以外でも熊本地震では仲間とボランティアチームを立ち上げるなど、多くの出会いや経験が今の自分をつくってくれたと思っています。毎晩のミーティングを重ね、ゲーム形式のメニューを導入し、笑顔も交えた指導を心掛けるうち、参加者の姿勢も変化。楽しそうにプレーする姿に、大きなやりがいを感じたそうです。 「文化や風習の違いに目を向けるだけではなく、それらを受け入れることができたのは、私たちにとって大きな成長でした」。 活動を通してその人柄と強いリーダーシップを高く評価された山本さんは、JICAから改めて、2年間のボリビア派遣隊員への推薦を打診されます。しかし「自分の実力を試したい」とあえて一般試験に挑戦し、見事に合格。野球ボランティアの派遣実績のないブラジルの地方都市に一人で赴くことになります。「ボリビアでの経験や教訓を糧に、より多くの人に野球の楽しさを伝えたいです」。 派遣から帰国する2020年は、東京五輪の開催年。「活動で得たノウハウを生かし、選手のサポート業務に関わってみたい。その後も国内外問わず、スポーツの発展に貢献していきたいです」。まっすぐな言葉で語るその姿が、大きく輝いて見えました。 小学校2年生から15年間、野球を続けてきた山本さん。高校ではあと少しのところで甲子園出場を逃した心残りから「強いチームで野球がしたい」と本学に入学。プロでの活躍は難しいと考えていましたが、心を捉えていたのは「野球を通して海外で活躍したい」という思いでした。 転機は2年次生の時に訪れます。2015年8月、本学とJICAとの間でスポーツ振興に関する連携協定が締結され、野球での青年海外協力隊派遣が決まったのです。「これだ、と思った」と山本さん。その年は英語力不足で断念しますが、「グローバル・アクティブ・プログラム(G.A.P.)」を活用して猛勉強。翌年の派遣メンバーに選ばれました。 派遣先のボリビアに出発するまでの3カ月は、10人のメンバーで昼休みにLanguage Plazaのスペイン語講座で、野球用語を中心に勉強。現地での指導に備えて中学校での野球指導や、道具集めにも奔走しました。前年の派遣経験者からも話を聞き、万全の準備で臨んだはずでしたが、いざ現地で活動を始めると戸惑うことばかりでした。 「野球がほとんど普及していない国なので〝ボールを投げる〞という機会が少なく、投げる時の利き手が分からない子もいました」。バットやグラブの使い方からのスタートで、集合時間になっても集まらないなど文化の違いも経験しました。「規律やチームプレイを大切にする日本の野球を伝える使命感と、現実とのギャップに苦しみました」。 それでも、活動を続けるうちに気付きます。「こちらのやり方を押し付けるのではなく、彼らの考えを尊重し理解していこう」。経済学部経済学科へ入学野球部へ入部し、3年間は授業の傍ら、ひたすら練習に打ち込んだ。単位はしっかり取得し、4年次生で自由に動ける時間をつくることを目標に掲げ、日々を過ごした。海外を視野に語学勉強を始めるキャンパスでたくさんの仲間と交流するうち、「海外に出てもっといろいろな景色を見たい」という気持ちが高まる。そんな時、「青年海外協力隊」の派遣プログラムを知るが、語学条件を満たさず断念。「G.A.P.」を受講し、英語を猛勉強する。青年海外協力隊員としてボリビアへ3年次生の冬、インド旅行へ。ニュースで見ていた貧困地域を目の当たりにし「自由で恵まれた今の環境を無駄にしてはいけない。やりたいことをやろう」と決意を新たに。帰国後の2月からボリビア派遣に参加し、将来の展望が開けた。ボリビアで感じた野球の魅力と違いを受け入れる大切さ経験を糧に、次のステップへ卒業後はブラジルで派遣隊員に山本さんの自分年表キャンパスライフ一問一答山本さんのボリビア派遣では自ら手を挙げ、リーダーに。1カ月間で5カ所を回り、6~15歳が通う学校の授業で「ボールを投げる、打つ」など野球の基礎を指導。夕方以降はより深く学びたい子どもたちや成人チームへの指導など、トータルで約300人と向き合った。12FUKUOKA UNIVERSITY MAGAZINE January 2018学内でお気に入りの場所はどこですか?Q.福岡大学を選んだ理由は何ですか?Q.

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