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「学び」へのステップ 大学から始める『言葉の力』育成プログラム
発展編①(5月12日)を実施いたしました。

2015.06.04



  平成27年度第一回目のコトチカ(発展編)を実施しました。発展編は、基礎編で学んだグループワークの技法をさらに活用し、テキストを読む、まとめる、発表する、質疑応答する、といった複合的なワークを行うプログラムになっています。
 テキストは、人文系、社会系、自然系のさまざまなテキストの中からグループで一つを選びます。今回は、人文系の「教育」をテーマにした『下流思考』を扱ってくれた①グループのまとめを講評いたします。


※写真は、クリックすると拡大します

 『下流思考』の著者は、フランス現代思想を専門とする内田樹で、本書は2007年に講談社から出版されています(2009年に文庫化)。今の子どもたち、若者たちがなぜ学ぶことに熱心ではないのか、というテーマが本書で扱われていますが、①グループがまとめてくれたのは、その理由を「等価交換」という概念を軸にして説明してくれている部分です。

 ①グループは、昔の子どもたちは「労働主体」であったが、今の子どもたちはみずからを「消費主体」として確立している、という点を指摘しています。「労働主体」とは、親や家族の役に立つこと、貢献することを通じて自分の存在を認識するあり方です。基本的に子どもの貢献能力は低いので、労働主体としての子どもは、自分自身が未熟であることを強く認識することになります。一方、「消費主体」とは、お金を使う消費者として自分の存在を認識するあり方です。子どもであろうが大人であろうが、消費社会においてはお金を支払って商品を購入する主体はみな「客」として平等です。

 どんな小さな子どもでも、お金さえ払えば丁寧に扱われる。それは素晴らしいことのようですが、こうした対価に見合った扱いを受けるべきであるという「等価交換」の考え方は、教育においてはうまくいきません。教育には、短期的で直接的な対価が明確ではないことが多々あります。等価交換の考え方にそまった子どもたちはそのとき、「黙っておとなしく授業を受ける」という報酬を支払うことを拒絶し、授業を邪魔したり、騒いだりすることによって「不快」を表明することになります。

 こうした状況をどうすればいいのか。①グループは、自分たちの意見として「子どもに家事をさせてあげられる家庭環境」、「子どもを甘やかせるな」「親への感謝を考える機会を増やせたら・・・」と三つ述べています。ちょっと厳しいものもありますが、いい意見ですね。難しい問題ですから簡単には答えは出せませんが、甘やかさないこと、自分たちがまだまだ未熟な存在であり、成長することが強く期待される存在であることを、どうにかして子どもたちに学んでもらう必要があると私も考えます。子どもが子どもらしくあることが尊重される社会であることは重要ですが、自分たちが「子どもである」という弱さを盾にして、未熟であることが野放図に許されてしまうような過寛容な社会は、かえって子どもたちの成長を疎外してしまうでしょう。なんだかこういうのも妙な気がしますが、子どもたちは、自分が「子どもであること」に謙虚であって欲しいものですね。

 さて、講評は以上です。『下流社会』、面白いのでぜひ図書館で手にとって見て下さい。教育サロン(A棟地下1階)にも、本を展示しておきます。興味のある方は、ぜひ立ち寄って現物に触れてみて下さい。

コトチカ担当:須長一幸

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